ふと。
これまで自分が書いた文章を読み返してみると、文体に統一性が無いと思った。
ですます調や口語体であったり、呟いていたり叫んでいたり。
その時々での気分の違いが出ているんだろうか。
きっと出ているんだろうなと思い、今日の自分の気持ちを表すにはどんな文体が適切かを考えてみた。
―気付けば年も変わり、
清々しい御来光を浴びながら悶々と新年を迎えるに至った私。
その理由を自問するものの、ここで周囲に珍妙奇天烈な内容を晒すことは差し控えたいと考える。
かなしはずかし稚拙な文章を細かに連ねたものを周囲がここで知りえる事などは、
皆の貴重かつ希少な時間を肥溜めに捨てるようなものだからだ。
しかし、愚かにも詳細を知りたいという勇気ある変人を、私は無理に止めるようなことはしない。
この場で、この1年間を何ら有意義に活用出来ずにいた事をここに宣言し、
呆けた頭で珈琲を啜りながら昨年の自身の業績を思い返してみることにする。
12月―
そう、無理矢理に日本中が西洋文化を迎合してしまう日、
乱痴気騒ぎが日本中至る所で繰り広げられている神聖であるはずのあの日。
多くの男女が洋鳥を喰らい、洋酒麦酒片手に破廉恥な時間を謳歌する傍らで、
孤高な私は卓上の蜜柑を喰らい、猥褻図書片手に崇高な時間を探究する。
否、私を可哀想などとは何処の阿呆が言い放ったものか。
そのような蛮行は断固許すベからず。
なむなむ!
疲れた。
必死に森見文学を真似てみたものの、あんな読者を惹き付ける文章は誰それが書けるものでは無いということが理解できた。
うん、今日はいい日だった。