「左の名波」、「名波の左足」。このフレーズが大好きで、
14年間でそれが浸透できたことが自信になった。
分かっていたけど、とうとうこの決意を聞いてしまう日が来てしまった。
名波浩、引退。
パス、トラップ、ドリブル、シュート。本当に鮮明に思い出すことが出来る。
国立鹿島戦のFK、アジアカップのダイレボレー、バティへのアシスト(笑)など。
けど名波の本質は、「ボールを取られないこと」だったと思う。
いつ見ていたのかと思うようなタイミングでのスルーパス、
後ろからのチャージを読んでのフェイント、絶妙なトラップからワンタッチでのパス。
現在でも視野の広さ、判断の早さ・正確さで名波を超える日本人て
未だにいないんじゃないかと思える。
右膝悪くしてドリブルはあまり見なくなったけど、あの取られそうで取られない、
ギリギリのとこでかわして抜いていくドリブルが大好きだった。
ジュビロの最盛期って02年ぐらい?
名波がボールを持ったらみんな信じて走り出してた。そりゃ走ると思う。
だって必ずパス来るもん。
個人的に思い入れのあるシーンと言えば、02年のナビスコカップ。
右膝の手術から復帰1試合目、ここで調子を上げてW杯へという試合だった。
名波がアップしてる姿を見て上がる歓声。両チームサポーターからの拍手。
みんな待ってたんだなと思った。ピッチに立っている姿がかっこよかった。
右膝にサポーターを巻いてないところがまた憎かった。
試合は「名波の試合」と言える内容だった。
後半からの出場だったが、前半とは変わってジュビロが中盤を支配し、
名波の左足からチャンスが生まれる。ジヴコビッチに出したアシストが圧巻だった。
サッカーに興味無かった僕がサッカーにはまり、試合も観るようになった。
範囲も海外リーグまで広がり、友人ともサッカーチーム作って楽しんだ。
(もちろん背番号は“7”で)
たいして右足でも蹴れないくせに、左の練習ばっかりしてた。
あの毒があるけどお茶目なキャラも大好きで、
名波が出る番組とかも欠かさず録画して見てた。
結構「生ダラ」とかに出ていたなあ。おもしろかった。
初めて名波を見たのが小学生。
今では就職して、好きに試合を観に行くことも出来なくなってしまった。
今シーズンも残り3試合?だったか、
限りがあるのを分かっていながら観に行くことが出来ないのは本当に歯痒い。
磐田市に就職しとけば良かったなぁと思う。
(そういえば高校の時、進路選択で静岡大学を真剣に考えてたなぁ)
ヴェネツィア時代やW杯など、思うこと・書きたいことは一杯あるけど、
あまり長文になってもね。
唯一の思いは、もっと日本代表でのプレーを見たかったこと。
怪我さえ無ければ06年も選ばれてたはず、きっと。
まあ、残りの試合を無事に頑張って、残留が決まればとりあえずは。
最後に。
僕の青春時代から、半分おっさん化しつつある今日まで、
ずっと応援してきました。
おそらくこれ以上に想いを込め応援する選手はなかなか現れないでしょう。
そしてあなたを超える代表の“10番”もまだまだしばらくは現れないでしょう。
今まで本当にお疲れ様でした、そしてありがとう。
これからもずっと応援し続けます。
あと数試合、forza NANAMI!!